子供の幽霊 ?賽の河原の石積み?(松江市 島根町 加賀 旧潜戸)

 松江七不思議のひとつ。
 島根半島の景勝地「加賀の潜戸(かかのくけど)」は新旧2つある。新潜戸は佐太大神の生まれたところであり、旧潜戸は子どもの魂が集う「賽の河原」として知られる。小泉八雲は旧潜戸で、こどもの亡霊の足跡を見たという。

子育てあめ ?母の愛は死より強し?(松江市 大雄寺/中原町)

 松江七不思議のひとつ。
 仲原町の飴屋に毎晩、白い着物を着た女が水飴を買いに来る。ある晩、飴屋が女のあとをつけると、大雄寺の墓場へ行き着いた。飴屋は怖くなって飛んで帰った。
 その翌日またも白い着物を着た女が飴屋に来た。女は自分についてこいという。女は墓地のいっかくに消えた。女が消えた地面の下から赤子の泣き声がした。墓を開けると、なかに女の死骸と生きている赤子と水飴があった。死んだ女が墓地のなかで子を産み水飴で育てていたのだ。母の愛は、死よりも強い。

小豆とぎ橋 ?「かきつばた」歌えば災い?(松江市 普門院の裏手 ※橋は現存していない)

 松江七不思議のひとつ。
 普門院というお寺の裏に「小豆とぎ橋」という橋があった。この橋の付近で「かきつばたの歌」を歌うと恐ろしいことが起きるといわれていた。この言い伝えを破り「かきつばたの歌」を歌った豪胆な侍がいた。自宅の前で美しい女が差し出した箱を開けると幼な子の生首があった。家の中には、頭をもぎ取られたわが子の死骸があったという。

松江城の人柱 ?埋められた美少女と踊る松江城?(松江市 松江城)

 松江七不思議のひとつ。
 松江城の城壁の下に一人の美しい少女が人柱として埋められているという。
 その少女はたいそう踊りが好きだった。
 松江城が完成して後、女の子の盆踊り禁止令が出たという。
 女の子たちが踊ると、お城の礎から本丸のてっぺんまで全体が揺れ動くからだといわれている。

お城山のきつね ?火災から町を守るお稲荷さん?(松江市 松江城)

 松江七不思議のひとつ。
 松平直政が松江城主になったときのことである。「城内に自分が住むところを作ってくれるなら、火の災いを防ぎましょう」と稲荷新左衛門と名乗る少年が言って、ふっと消えた。直政は城内に城山稲荷神社を建立した。以来、松江の町に大きな火事が起こらなくなったという。

源助柱 ?鬼火が舞う橋?(松江市 初代・松江大橋)

 松江七不思議のひとつ。
 慶長年間にはじめて松江大橋を架けたときの工事は困難をきわめた。そこで人柱を立てる事になり、選ばれたのが源助(この名は誤り伝えられたものであるともいうが)である。源助を人柱とした初代の松江大橋のまんなかにあった橋杭は「源助柱」と呼ばれた。月のない晩のうし三つ時などに源助柱の付近に赤い鬼火が飛び交ったという。

黄泉への入り口(出雲市 猪目洞窟)

 島根県出雲市(旧平田市内)に出雲国風土記に「夢に此の磯の窟のほとりに至れば必ず死ぬ。故、俗人、古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と號く」と記載のある「黄泉の穴」がある。
海食洞窟(海水の侵食作用でできた洞窟)で縄文から古墳時代にかけての埋葬や生活を物語る遺物が発見されている。
 現在は、近所の漁師さんたちが漁具置き場として使っているため荒らしてほしくないが、洞窟の入り口付近を実際に目にすると「あの世と繋がっていてもおかしくないな…」という感慨にとらわれる。
黄泉の入り口(出雲市 猪目洞窟)